掃除は生活の中の最大修行。コツコツ積み重ねていくことを大切に。

日常の話

「日常生活の掃除が最大の修行なんです!」

熱く語っているのは、いま私が購読している動画で講師を務めていらっしゃる方。携帯の画面に映し出された彼の姿は小さいけれど、その声の力強さは、十分な熱量をもって私に訴えかけてきていた。

「掃除は、汚れているからするものではなく、キレイでも掃除をするのが基本です。自分の心を磨くため、キレイところをさらに磨くのです。」

ああ、そうか。私、間違えていたなぁと思う。

皆さんは、どのように掃除をルーティーンしているだろうか。
私はフルタイムで働いていた頃、毎日娘の弁当を作り、月・水・金はリビングをルンバに任せ、残りの日は3LDK全体に掃除機をかけ、ほぼ1日おきに洗濯もし、7時30分には出勤できていた。それが今は…、テキトーである。
リビングは相変わらずルンバが走ってくれているが、自室の掃除は週1~2回ほどに減ってしまっていた。あんなにしっかりできていたのに、今の方が時間的に余裕があるのに…。怠惰になっていることに、後ろめたさを感じてもいた。

「いろいろ言い訳をして、ルーティーンが崩れてしまうこともあるでしょう。でも、気づいているか・いなかが大切です。」

良かった。まだ、ダイジョブだ…。

私はこの講座で、「人としての在り方」を学んでいる。そんなことを、講座で学ばなければならないほど、浅はかな人間なのかと思われたかもしれない。そうなのだ。私は人間的になってない。誰かに対しての不平不満が尽きなかったり、誰かと自分を比べて自分自身に価値を感じなくなったり、過去のことに囚われて身動きが取れなくなってしまったり…。若いころからずっと心の浮き沈みが激しくて、生きづらさを感じてきた。
この時は寅卯天中殺期間だったこともあり、いろいろなことが上手くいかなくなったし、自分自身、これからどう生きていったらいいのかも分からなくなってしまった。そんなつぶれそうになっていた時に、この学びに出会った。
人としての在り方が分かれば、これからの第二・第三の人生は豊かになるんじゃないか? そんな思いで50の手習いに始めてみた。

しかし、これがなかなか難しい。人間、そう簡単には変われないのだ。相変わらず、私の口からは不平不満があふれ出てくる。

家庭の中での不満と言えば、掃除だ。特に、トイレ掃除で娘ともめがちだった。

私がこの家に引っ越してきた時、娘は高校生に上がるところで、トイレ掃除を交代でやるという約束をした。トイレには金運の神様がいるから、娘にもあやからせてやりたいと思ったのと、女の子だから部屋をキレイにすること・そこに気が付けるセンスみたいなものを身につけさせたいと思ったからだ。しかし、これが至難の業だった。

お恥ずかしい話であるが、娘が自分から気づいてトイレ掃除をできたのは、極わずか。毎回、何度も私が言わなければやらず、ひどい時には自分が汚しても汚れを拭いて出てくることもしなかった。それを毎回、いちいち指摘し、やらせ続けるストレスったらない。不満が積もり積もっていた。そろそろ、

「トイレ掃除の約束が守れないなら、もう使わないでくれる?」

とキレてやろうかと思っていた。そんな矢先に見たのが、前述の動画だった。

講師は、こう続けていた。

「トイレ掃除は一番力量のあるものが、もっとも穢れているところを掃除をしても良い。そういう権利がある。そういうものなんです。」

そうか。この家の中で一番力量があるのは私だもんな。これは私に与えられた特権なのか。だから、娘には縁遠い世界だったんだな。そんな風に、トイレ問題が腑に落ちていく。それなら、娘にトイレ掃除をやらせようとしていたこと自体が間違いだったんじゃないかとさえ思えてくる。

「あなたのような下々の者に、トイレを触らせるなんて十年早いわ。」

そんなセリフが頭に浮かん来て、不満な気持ちがスーッと消えていった。

掃除をするというのは、自らを律していることになるそうである。その積み重ねが大切であるとも。
偏見を恐れずに言うなら、部屋を汚していても平気な人は自分自身に対して怠惰なところがあるように思う。私自身を振り返れば、失業後に時間を持て余していた時の方が掃除はしていない。そんな自分を怠惰であるとも自覚していた。心の在り方が、掃除にも表れているのである。怠惰な自分をこれからも積み重ね続けていたら、どうなってしまうのだろう。

未来の自分は、いまの自分が作っていく。今していること、発している言葉、歩き方、所作、その積み重ねが未来の自分を作っていくのだ。
生活の中にある最大修行のお掃除。家族のために過ごしやすい空間を作るだけでなく、心をキレイにするつもりでしていたら。その積み重みかさねが作る未来は、今よりきっと、気持ちがいいものになっているに違いない。

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